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March 2010 posts

歯磨き

味スタへ向かう前に長男の入院している病院へ行ってきた。
方向的には調布近辺から新宿経由で曙橋へ行き、再び調布方面へ戻って飛田給へ、
となる。

昨日は休みの土曜日だったので昼間から面会に行ってきたが、
平日は面会時間が18時から19時までなので、仕事帰りに寄るのが難しい。

「明日はサッカーがあるので来ないよ」と昨日帰るときに言ったものの、
やはり容体が何か変わっていないか気になる。
(自分の子供が瀕死の重傷を負って入院しているのにサッカー観戦てなによ、と云う批判があればそれは甘受します)

ICUは完全介護だし、自分がいて何か出来るわけでもない。
が、月曜日以降はしばらく会えないので顔を見ておきたかった。

相変わらず人工呼吸器を装着したままの姿だったが、
看護士さんが来て、長男の顔を拭いてくれた後、歯磨きをしましょう、と言う。
これも看護士さんがやるのかと見ていたが、「自分で出来ますか?」と尋ねられた長男は「はい」と答えた。

看護士さんが歯磨き粉の着いた歯ブラシを長男に手渡す。
歯磨きをするので人工呼吸器はいったん外されるのだが、それだけでなんだか心配になる。

仰向けになったままの姿勢で歯を磨く。
看護士さんが水を口に注いでくれ、長男が口の中をブクブクとやって水をはき出し、また歯を磨く。
何度かこれを繰り返し、歯磨き終了。
また人工呼吸器が装着された。

普段の生活の中ではなんでもないことなのだが、
自分の腕や手を使って長男が歯磨きをしている、その様子をみているだけでちょっとほっとする。

本人もスッキリしたようだ。

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味スタ便り-20100328 | vs 柏レイソル

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J2リーグ戦第4節2日目。対戦相手は開幕からここまで3試合負けなしの柏レイソル。
色々と因縁のあるクラブである。
どんな因縁かと云うのはあれこれ書いてきたような気もするので省略。
上の写真のアウェー側自由席のどこかにうちの娘がいる、とだけ書いておく。

負けなければ面白いゲームだった。
とりわけ河野は相変わらず見ていて面白い。

前線からの鬼のようなプレスが柏の印象なのだが、ちょっと違うサッカーをやっていた感じ。
フランサのプレーが好きなのだが今日はベンチ入りもしていなかった。
と思ったら、肉離れで全治約8週間だとか。
相変わらずスペランカー体質なんですね。

前半は比較的ヴェルディペースでのゲームに見えた。
が、双方得点も失点もなく、後半勝負となる。

時間が経つにつれ次第に柏ペースに。
GKは久しぶりに土肥さんがスタメン出場でベテランらしいセーブもみせていたのだが、
70分台に、ヴェルディから柏に移籍した林の恩返し弾を含め続けざまの失点。
結局 0 - 2 で終了。

これで3連敗。しかも3試合消化して得点は1。
FWからCBへコンバートされた平本がホーム開幕戦にヘッドで決めたゴールだけ。
これでも最下位でないのがなんとも・・・

2010/03/28 16:03キックオフ 味の素スタジアム
【入場者数】4,608人【天候】曇 5.7℃ 54%
【主審】扇谷健司【副審】手塚洋/入部進也
東京ヴェルディ 0(0) - 2(0) 柏レイソル
10 SH 13 / 1 CK 7 / 22 FK 27
(73' レアンドロドミンゲス)
(76' 林 陵平)

GK 1 土肥洋一
DF 2 福田健介
DF 17 土屋征夫
DF 14 富澤清太郎
DF 25 平本一樹
MF 33 高木善朗 72' OUT
MF 8 柴崎晃誠
MF 10 菊岡拓朗
MF 16 飯尾一慶 77' OUT
FW 7 河野広貴
FW 24 高木俊幸
(SUB)
GK 26 柴崎貴広
DF 3 吉田正樹
DF 4 飯田真輝
MF 5 佐伯直哉
MF 15 向 慎一
MF 37 小林祐希 72' IN
FW 13 井上 平 77' IN


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アウェーグッズも置いている売店。
メイン入り口中央からホーム寄りの場所にあるので、アウェーサポの人は気付きにくそう。
ゲームが始まる前に、うちのレイソル娘に携帯で教えたらやはり知らなかったと言っていた。

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さすがにクレームがたくさんあったのか、アウェー側のオーロラビジョンも使うようになった。
と思ったら、

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ホーム側のオーロラビジョンが真っ暗だった。
経費節減でひとつしか使用しない(出来ない)のは変わらないようだ。
アウェー側オーロラビジョンはプレー中の選手一覧も表示されず、得点のみ。

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事故

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長男はエレベーター設置工事の仕事についているのだが、
作業現場で4階の高さから2階の足場まで落下、大怪我をして救急車で病院へ運ばれた。
一昨日(3月25日)の夕方のこと。

最初は、作業現場に近い東京女子医科大学東医療センター(荒川区)へ搬送されたが、そこでは処置しきれないとの判断で新宿の東京女子医科大学病院の方へ転送となった。

妻が先に東医療センターへ着いていたのだが、自分は遅れて東医療センターへ向かう途中に転送になったことを妻から知らされ、新宿へ引き返し、東京女子医科大学病院へ向かった。

自分が病院へ着いた時には既に検査に入っていて容体を知ることが出来なかったが、転送用の救急車に同乗して先に病院へ着いていた妻の話では意識はあるとのこと。

検査の時間は長かった。

検査室から出てきたのは23時半頃だっただろうか、ICU準備室に運ばれてきたところでやっと長男の姿を見ることが出来た。
目は開いていたが、自身がどこにいてどんな状態なのか探っているかのようにときおり視線があちらこちら彷徨う。
意識はあり、視線の合った妻に向かって「ごめん」とつぶやいていた・・・

その後別室で担当医師から検査結果の説明を受けた。
背骨や肋骨などあちこちの骨が折れ、脊髄も損傷、骨折した肋骨で肺から出血していたり、とかなりの重傷だと言う。

東医療センターで事故現場にいた人から妻が聞いた話では、さかんにお腹が痛いと言っていて(医師の話では脊髄損傷によるものではないかとのこと)、下半身はまったく反応がなかったそうだ。
医師からも同じように下半身の反応がない、と説明された。

そして、肺からの出血があり至急施術を施す必要があるのでこの後すぐに手術に入ると言う。
手術は朝までかかるだろうとのこと。

自分と妻には家族用控え室が用意されていた。
会社関係の方たちが早くから病院に駆けつけられ、検査の間も待っていて頂いていたのだが、時間も時間なので、ひとまず引き上げて頂いた。

ICU準備室から手術室へ移動する際にまた長男の姿を見られるというので、妻と二人で廊下で待つことにした。
手術の準備に時間がかかっているのか、1時間ほどしてようやくICU準備室から出てきた長男を手術室へ見送り、2階の家族用控え室へ移動した。

午前3時頃に控え室内の電話が鳴った。
容体が急変したのかと不安な気持ちで受話器を取ると親会社の方らが見舞いに来ているので控え室に案内して良いかとのこと。
親会社はすぐそばの市ヶ谷にあり、そこで待機されていたらしい。

長男が直接お世話になっている下請け会社の社長さんもご一緒だった。
一緒に作業していたのだが現場で事故の後始末などをされて、わざわざ長男の仕事用バッグを届けて来てくれた。

一通りの挨拶を交わしてまた妻と二人だけになった。
眠っているのか起きているのか分からないような状態でいる内に夜が明けた。
が、手術はまだ終わらない。

ようやく手術室から戻ってきたのは午前8時頃だっただろうか。
肺からの出血への施術だけでなく、背骨の数カ所と損傷した脊髄にも固定する手術を行ったとのこと。

こうして手術を終えた長男はICUへと運ばれていった。
ICUは基本的に家族近親者以外入れない。
眠ったままの長男の姿をしばらく見守った後、病院を後にした。


事項発生時、4階の足場で作業していたのは長男ひとりだけ。

検査がまだ終わる前から、親会社の方に、命綱となる安全ベルトを事故発生時に長男がどのような状態にしていたのか本人に確認して欲しいと何度か依頼された。
が、とてもそのような質問を出来る状態ではなかったので後にして頂いた。

安全ベルトを規則通り使用していれば、まさにそれが命綱となり、足場が崩れても少なくとも落下することはなかったことを確認したいようだ。

確かにそうだろうが、現場で作業していた方から後で聞いた話では、長男が作業していた 4階足場へ上からの落下物(本来溶接で固定されているべきものらしい)があり、それで足場が壊れ、そのまま落下したとのこと。
足場がいきなり崩れた訳ではない。

仮にその落下物が長男を直撃していたらどうだろう。
安全ベルトがどうとかに関係なく、その時点で致命的な事故になっていたかもしれないことは十分に想像できる。

警察の現場検証もあったそうだし、事故の経緯についてはきちんと知っておきたい。


病院からの帰り道、例の仕事用バッグを背負って歩き出した。
妻からは重いから宅急便で送ろうと言われたが、長男のそのバッグを背負っていたかった。

作業用の工具やらがぎっしりつまっているそのバッグは確かに重い。
情けないことだが曙橋の駅までもたなかった。
結局、コンビニから宅急便で送ることにした。

長男は、毎日6時前には起きて自分でお弁当を作り、この重たいバッグを背負ってあちこちの作業現場まで通っていたのだ。


どうしてなのだろう。

何故、うちの子供がこんな目に遭わなくてはならないのだろう。
身近な人間が不慮の事故に見舞われた者なら誰でも思うだろうことを自分も思った。

一命を取り留めたのがせめてもの救いだが・・・

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味スタ便り-20100314 | vs ロアッソ熊本

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今年の J2はクラブ数が奇数のため毎節どこかのクラブが試合がない。
前節試合のなかったヴェルディの2010年リーグ戦がホームでスタート。

対戦相手は昨年ホームでやられたロアッソ熊本。
監督は昨年開幕から10月までヴェルディを率いていた高木琢也氏。
GKは元柏レイソルの南 雄太(今季移籍加入)。これまた懐かしい選手だ。

平本がFWから左SBにコンバート、と話には聞いていたが実戦で初めて見る(元々SBだった)。
前半はスコアレスで終わり、後半に入り最初のゴールを決めたのはその平本だった。
セットプレーからヘッドで決めた。

先制点に喜ぶのも束の間だった。7分後に同点弾を決められ、その後追加点を許し、1 - 2 のスコアでホーム開幕戦を落とした。

当初、中盤での攻防ではイニシアチブを握っていたものの、ロアッソ熊本の前線へのロングボール放り込み繰り返し戦術に徐々にバランスが崩れていったように思う。

ロアッソ熊本の10番は怖い選手だなあ、と見ていたが同点弾を決められたのがその松橋選手だった。

まあ、こんなものなのかな。
いつもここから・・・

2010Jリーグディビジョン2第2節第2日
2010/03/14 13:03キックオフ 味の素スタジアム
【入場者数】5,755人【天候】晴 16.3℃ 28%
【主審】鍋島將起【副審】大塚晴弘/渡辺智哉

東京ヴェルディ 1(0) - 2(0) ロアッソ熊本
11 SH 10/ 7 CK 6 / 23 FK 26
52' 平本一樹
(59' 松橋章太)
(75' 井畑翔太郎)

GK 26柴崎貴広
DF 2 福田健介
DF 17 土屋征夫
DF 14 富澤清太郎
DF 25 平本一樹
MF 24 高木俊幸 80' OUT
MF 8 柴崎晃誠
MF 10 菊岡拓朗 80' OUT
MF 16 飯尾一慶
FW 7 河野広貴
FW 13 井上 平
(SUB)
GK 1 土肥洋一
DF 3 吉田正樹
DF 4 飯田真輝
DF 23 高橋祥平
DF 31 福井諒司 80' IN
MF 15 向 慎一
MF 33 高木善朗 80' IN


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大宮アルディージャ、塚本泰史選手への応援メッセージ

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厳しい経営状態のためバックスタンドは全面閉鎖。

これはやむを得ない方針だろうが、電光掲示板もひとつだけの使用になった。
使用を止めたのはアウェー側の電光掲示板。

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ホーム側自由席の大部分の観客からはスタンドの上層部分が邪魔して真上の電光掲示板がほとんど見えない。
ゴールシーンのリプレイも見られないわけで。
これはまずいでしょう。

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Free を聴きながら (2) - シナモン

亡くなった親友がボーカルをやっていたバンド、シナモンについては残念ながら映像も音源も残っていない。
メンバーのひとりがカセットテープに録音したものがあったらしいが、誰かに貸した後行方不明のままらしい。
自分の手元には当時の写真が何枚かあるだけだ。

自分とシナモンとの関係は、なんというかはなはだあいまいなものだった。
もちろんバンドのメンバーでない。
マネージャーを自称していた頃もあったようで、実際どこかのコンサートへの出演依頼電話が自宅にかかってきた記憶もある。

連中とは良く一緒に行動していた。
が、連中が観に行った Free の来日公演には自分は行っていない。
声をかけられなかったような気もするが、実際どんないきさつだったか覚えていない。
ともかくシナモンに対して自分はなんだか良くわからな関係であったわけだ。
「シナモンと愉快な仲間達」ってところだろうか。


1971年。
この年はいろいろあった。

  1. 日比谷野音。
    当時、ロックコンサートが頻繁に行われ、シナモンのメンバーと良く一緒に観に行った。
    野音では、とにかくいろんなバンドのいろんなコンサートがあった。

    自分の中では日本のロックシーンで一番熱かった時期。

  2. 北区公会堂。
    忘れもしない、シナモンが村八分と競演したコンサート。
    競演、と云うか、正確にはメインが村八分でシナモンを含めいくつかのバンドが前座として出たのだったと思う。

    シナモンのメンバーに混じって楽屋にいたのだが、そこに村八分がいた。
    あのチャー坊や山口冨士夫がいたわけである。
    その後村八分を脱退する青木眞一氏がまだベースをやっていた。
    化粧をした村八分。
    別に何をされた訳でもないが、おっかねえ連中だな、と感じさせ、何かオーラみたいなものが漂っていた。

  3. 三里塚幻野祭。
    1971年8月14日から16日にかけて開催されたイベント。
    シナモンが出演したのかどうか記憶がない。
    シナモンでベースを弾いていた友人に亡くなった親友のお通夜で久しぶりに会ったのでそのことを確認してみたところ、演奏をした、と言う。
    幻野祭に出かけた時に撮った写真が手元に残っていて、確かにバンドのメンバーがギターケースを抱えているのだが、それでも演奏シーンが思い出せない。
    夜通しのイベントで寝ていたのか朦朧として記憶にないだけかもしれない。

余談だが、三里塚から帰って来た日(翌日かも)急に激しい腹痛に襲われ病院に駆け込むと、盲腸炎で即入院、手術となった。


北区公会堂での村八分のライブが約40年の時を経てリリースされ、先行販売で早速手に入れた(一般発売は3月24日)。

「ぶっつぶせ! -1971北区公会堂 Live-」。

シナモンのメンバーが亡くなった同じ月にこのライブ音源がリリースされるとは・・・
偶然とはいえ感慨深いものがある。

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Free を聴きながら (1)

のど飴をなめているといきなりむせたりする今日この頃ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?


もう、ひと月以上前になる。
2月4日の夜だった。
友人の奥さんから電話がかかってきた。
とっさに悪い予感がした。

その友人夫妻とはここ10年ほど会っていない。
友人とはその後たまに電話で話をすることもあったが、ここ数年は年賀状のやりとりだけになっていた。
今年も年賀状が届いたが格別変わったことは書かれていなかった。

それにしても、何故友人自身がかけてこないのだろう。
と瞬間に思ったのだった。
こういう予感は外れて欲しいものだが・・・

奥さんからの電話は、前日、友人が他界したとの訃報だった。

7日にお通夜があり、その友人夫妻と面識のある妻も連れだって参列させて頂いた。
8日の告別式では友人の最後の姿を拝ませて頂き、その後、火葬、骨上げにも立ち会わせてもらった。

亡くなった友人は、上野高校時代の同期で唯一親友と呼べる存在だった。
大学を出て会社勤めになってからも、しばらくは高校時代と同じように二人でつるんでは馬鹿をやったりしていた時期もあった。
なんだかんだと高校卒業後も付き合いが続いていた。

めちゃくちゃ歌の上手い奴で、シナモン(CINNAMON)と云う名前のバンドでボーカルをやっていた。
シナモンと云っても、究極の Led Zeppelin再現バンドとして有名な同名バンドとは全く関係はない。
Free のカバーやオリジナルをやっていて、自分が Free を知るきっかけになったのもこのシナモンだった。

奥さんの話によると、
2年前に身体の異変が気になり、病院で検査をしてもらったがその時には病巣が見つからなかった。
その後別の病院で改めて検査をしてもらったところ、既に手遅れで余命 2ヶ月との非情な宣告を受ける。
それでも頑張って 1年半ほど病気と闘った末に亡くなられたとのこと。

闘病生活で痩せ細っていく姿をみられるのが嫌で、仕事関係など極一部の人以外に病気のことを知られるのを頑として拒んでいたらしい。

「便りのないのは良い便り」と云うのは嘘。

葬儀ではシナモンの名前で生花を出してもらった。
元バンドメンバーでもあった友人と相談して、故人の奥さんに頼んだものだ。

お通夜も告別式も行き帰りの電車の中ではずーっと Free を聴き続けていた。

Goodbye
I hope we meet again
But the good times
Will always remain
(from "Goobye" - Fraser/Rodgers/Kossoff/Kirke)


1年以上もの闘病生活は想像もつかない。
たぶん自分には無理。だから、
自分の時は、

即死で頼むぜ。

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